参議院選挙を機に考える 普通の人が政治を語るということ

第25回参議院通常選挙が公示されて6日が経ちました。各党、候補者とも有権者への訴えに余念がありませんが、如何せん対立候補や政党への罵詈雑言の方が政策提言よりも賑やかで、候補者選びという観点ではどうしたものかと頭を抱える次第です。

 

政治を語るというと、イデオロギーとか民族主義とか場合によっては宗教とか、どう考えても議論が平行線にならざるを得ないテーマに陥ってしまうイメージを抱いてしまいます。でも、個人的には僕らが語るべき政治のテーマってそうじゃない部分もあるんじゃないかって思うんです。

 

皆さんもご存じの通り、私たちが暮らすこの国では「代議制民主主義」という統治体制を採っています。したがって、わたしたち国民は主権を有するものとして、自分に代わり行政を執り行う代表者を選挙で選出します。そうやって選出された代議士が国民からの委任を受ける形で官僚とともに行政を執り行うわけです。その範囲は経済、安全保障、社会保障、教育など多岐にわたっていますし、これらの施策や法律、政令、省令に影響を受ける国民の立場もまた、経営者、サラリーマン、自営業、農林水産業、パート、主婦、子育て中の親、障がい者、学生、などなど、多様なものになっています。当然のことながら立場が変われば、利害が衝突することもあります。

 

例えば、以前某企業の広報責任者が高額所得者の所得税負担を嘆くツイートをしたことがありますが、僕の立場では「高額所得者は社会からそれだけ儲けさせてもらっているのだから、相応のお返しを社会に対して行ってほしい。だって、都心のタワマンを買うくらいの余裕はあるんでしょ?」と考えてしまいますので、ある意味利害が対立するわけです。他にも、以下のような利害対立が考えられますね。

  • 企業・経営者 vs 労働者
  • 大企業 vs 中小企業
  • 企業 vs 消費者
  • 社会保障受益者 vs 社会保障関連保険料納入者
  • 工場 vs 工場周辺地域住民

etc

ここに挙げたのはほんの一部ですが、このような利害関係の調整が、代議制民主主義に期待される機能の一つであるわけです。つまり、議会というものが様々な立場の国民を代表する代議士で構成されていれば、そこでの議論を通じ、マクロに見て国として有益であり且つ様々な立場の人が合意可能な調整がなされると言えます。先の例で挙げた某氏は「高額納税者党」なるものがあれば投票するという旨のツイートをしていましたが、これはまさに自分の立場を代弁する代議士を議会に送り込みたいというお話でしょう。私たちが政治を語るとき、大上段に構えて天下国家を語るのではなく、この某氏のように身近な問題から出発してもいいんじゃないかと思うんです。そうすることで、政治というものが今よりも自分事になるし、皆が身近な関心に基づいて投票行動をとれば、議会が今以上に利害の調整機能を発揮するのではないかという期待も高まります。

仕事を部下に丸投げすることしかできない無能な上司がいる、と言えば共感するサラリーマンも多いのではないでしょうか?得てしてこのような上司は仕事の中身がわかっていませんから、実力よりも口先で生きているような部下を重用するものです。さて、自分を「上司」、代議士を「部下」と考えたときに、僕はこの「無能な上司」になっているのではいないか、と不安になるのです。皆さんはいかがでしょうか?