役職なんて会社からなくなってしまえばいいのに

 人には「認知バイアス」というものがあるんだそうで。例えば、どうしても人がいっていることより自分の意見の方が正しく感じてしまうとか。そんな認知バイアスの罠にはまっているのは重々承知で思ってしまうんです。

 

「どうしてこんな人が社長をやっているんだろう?」

「どうして、こんな無能なのに部長になれたんだろう?」

などなど

 

 おまえ何様だ!という声が聞こえてきそうですが、率直にそう思っちゃうんですよね。少数の例で一般化するのは一種の「過度な一般化」かもしれませんが、例えば、僕が勤める会社の社長、従業員の前で失言しちゃうんですよね。感覚が、昭和50年代から60年代って言うか。今の時代、それ言ったらダメでしょみたいな。あと、僕の上司なんだけど、「ルールはとにかく守れ」という規律重視型。明らかに不合理なルールについて説明を求めると怒り出す「思考停止マン」です。「なんで、分数をひっくり返してかけると何で割り算になるの?」って聞くと、「それはそういうものなのよ!」と怒り出すお母さんみたいなもんです。

 まぁ、社長の上司もただのニンゲンなので悪い面ばかりにフォーカスするのはかわいそうですが、気にくわないのがそんな彼らが偉ぶっていること。社長が黒塗りの社用車で会社に来ると、総務部の方が出迎えるわけですよ。で、社長は「よっ、ゴクロウサン」みたいな感じな訳で。僕の部長も部下が気にくわない対応をすると「部長に対して失礼だろっ!」と怒るようなタイプ。どいつもこいつも、もう少し謙虚にというか、普通に接してくれるんなら、悪い面にも目をつぶってあげてもよいと思えるのにね。

 想像だけど、エライ人ってのは自分を信長とか秀吉みたいな戦国武将とオーバーラップさせちゃうのかもしれませんね。強いリーダーシップで組織を勝利に導くみたいな。でも、そういうリーダーシップ(=支配型リーダーシップ)って、重い十字架を背負い込むんですよ。知ってましたか?それは、「失敗できない」という十字架です。勝つも負けるも自分の采配ひとつだからね。でも、失敗しない人間なんていません。特に挑戦していればなおのこと。で、彼らはどうするかというと、徹底的に失敗するシチュエーション(≒挑戦)を避けるか、失敗したとしても「失敗してない体」で振る舞うかです。この「失敗してない体」ってのがまた厄介で、どうするかというと「俺の指示は間違ってない。部下がボンクラだからダメだったんだ!」みたいなことを言い出すんだよなぁ。あぁ、腹が立つ!

 だからね、役職を持っている人がエライみたいな共同幻想は止めにしませんかって思うんですよ。だって、与えられた役割を演じているという点においては、社長だって平社員だって変わらないじゃないですか。そりゃ、責任の重さは違うかもしれないけど、それがニンゲンのエラさを測る指標なのかっていう話ですよ。そうじゃないでしょ。ちょっと飛躍するんだけど、僕は、日本企業がこの激変する社会の中で競争力を落としたのは、自分はエラいんだから正しい!という認知バイアスが掛りまくりのエライ人たちが原因じゃないかと思っています。だから、この社会が、役職の高低がニンゲンのエラさではないってことに気がついたときに、日本企業の国際競争力は格段に向上すると思うんですよね。皆さんはどう思いますか?