リスクは回避すればいいってもんじゃない

これを書いている2020年3月19日現在、「コロナウィルス陽性」が僕にとってじわりと身近な問題になりつつあります。そして2日前、実業家の堀江氏がツイッターに次のような投稿をしました。

 

 

 

 相変わらず口が悪いなぁと思うのですが、プロジェクトマネージメントの観点で、この「ゼロリスク症候群」なる造語(?)が示唆に富んでいるので、今回はリスクについてお話しします。

 

 「リスク」とは何でしょう?

 

名詞

1可算名詞 [抽象的には 不可算名詞]

a(危険・不利などを受けるかもしれない)危険,恐れ 〔of〕《★【類語】 ⇒danger》.

a fire risk 火災を起こすかもしれない危険物.

b〔+that〕〈…という〉危険,恐れ.

There was a risk that he would lose the election. 彼には選挙に敗北する危険があった.

2可算名詞 [通例修飾語を伴って] 【保険】 被保険者[物].

a good [bad] risk (保険会社からみて)危険の少ない[多い]被保険者; 《比喩》 頼りになる[ならない]人.

研究社 新英和中辞典より

 

 

 辞書的にはこんな意味です。ポイントは「かもしれない」ってとこ。必ず起こるなら、それは「リスク」ではなく、「現実の危機」です。例えば、東京タワーのてっぺんから飛び降り自殺する人にとって「リスク」は限りなくゼロです。「死」以外の結末はまずありえないからね。

 そんなリスクですが、プロジェクトマネージメントでは4つの対策方があると言われています。では、例を使って説明しましょう。

 

 あなたは、ある用事のために山の向こうの町に行こうとしています。でも、山には熊が出ると言われています。この状況で「山で熊に出会う」というリスクに対しどのような対応をとればよいでしょうか?

 

回避

「山を迂回して町へ行く」というのが「回避」と言うことになります。もちろん、その際に起こりうる別のリスクは想定し対応を考えておく必要があります。

 

低減

「熊よけ鈴をつけて、山を通る」というのが「低減」と言うことになります。熊に会う確率を下げるというわけです。

 

移転

「誰かに代わりに町に行って用事を済ませてもらう」というのが「移転」です。誰かにリスクを押しつけちゃうという考え方です。実際のプロジェクトでは専門性の高いタスクを専門的なパートナーに委託したり、自分のヒエラルキーでは扱いきれないリスクを上に委ねたりするパターンですね。

 

許容

「熊に会っても仕方ないので自分で山を通っていく」というのが「許容」です。リスクが現実のものとなったときの影響度が軽微な場合はコストをかけて対処するよりも許容してしまった方がよいこともあります。。

 

 さて、ここで言いたいのは堀江氏が暗に言っているように、「回避ばかりがリスク対策ではない」と言うことです。では、これらの対策をどのように選んでいけばよいのでしょうか?そのためのキーワードは「頻度」と「影響」です。「頻度」とはそのリスクが現実のものとなる可能性の高低です。「影響」はプロジェクトに与える影響の高低と言うことになります。例えば、「ヒグマがいることがわかっていて、目撃情報が多数寄せられている」(高影響・高頻度)の場合は回避するにしかず、です。一方、「小熊しかいないことがわかっていてる場合」(低影響)の場合は、許容してしまってもかまいませんよね。

 

 で、このリスク管理が苦手なマネージャさんが僕の身近には意外と多いんです。「リスクは回避するものだ」と思い込んでいる人がね。そういう人を見ていると、リスクを回避するために別のリスクが結果的に仕込まれたりとか、回避に膨大なコストをかけたりとか、そんな感じなのでハラハラします。あと、リスク回避傾向が強い方は決断に時間がかかる(必然的に結論が導き出せるだけの材料を集めようとする)とか新しいチャレンジを潰して、業務効率がなかなか改善しないとか、ネガティブな影響が出てきがちなんですよね。「失敗無くして栄光無し」だと思うんだけどなぁ。

 

 さて件の「ホリエモン祭り」、考え得る影響度合いの大きいリスクは、

 

「『イベントが感染クラスタを形成する』且つ『イベントが感染クラスタを形成したことが明らかになる』」

 

じゃないかな。では、その「頻度」を評価してみましょう。「イベントが感染クラスタを形成する」ためには①感染者がイベントに参加し、②その感染者と他の感染者が「濃厚接触」をする必要があります。堀江氏のイベントは高齢者層よりも若年層が参加すると考えられるので、無症状の感染者がイベントに参加する可能性は比較的高いのではないかと考えました。ただし、堀江氏が「小規模イベント」と称しているので「濃厚接触」の可能性は低いのかもしれません。次に、「イベントが感染クラスタを形成したことが明らかになる」というリスクを評価してみます。明らかになるためにはイベント参加者が検査を受ける状態になる必要があります。検査を受けるためには①重症化するか、②他の検査を受けた感染者と濃厚接触する可能性がある場所にいたことを第三者が特定できるのいずれかの状況が必要だと考えられます。前述の通り、このイベントは若い方が多いと考えられるので、重症化の可能性は低いでしょう。次に上記②の状況ですが、こちらも検査を受けた方(≒重症化した方+重症化した方と同じ施設にいたことがわかる方⇒恐らく多くは年配者)とイベント参加者の行動パターンが違うため、頻度としては低いものになると考えられます。

 以上をまとめますと、

 

 『イベントが感染クラスタを形成する』・・・低~中頻度

 『イベントが感染クラスタを形成したことが明らかになる』・・・極めて低い頻度

 

と言えますので、堀江氏がイベント実施をためらわないのもわからないでもないです。が、以上の考察はあくまでイベント主催者側にとっての影響を起点にしたものですので悪しからず。

 

 コロナの問題はさておき、僕らは少なくとも「リスクを回避さえすれば絶対安全」って思うこと自体が「危険」であるってことを理解しておく必要があるというお話でした。